
朝たまたまYouTubeで見たショート動画がありました。
それは、『心が綺麗な人ほど生きにくい世の中なんておかしい』ということを訴えてきた動画です。
内容は
『なんとなく学校に行って
なんとなく生きてて
なんとなく人に合わせて
なんとなく笑顔作って
なんとなく疲れる
それが生き辛い世の中で、
初めから自分がいなかったことにしたい
休むだけで怒られるこの世界
心が綺麗な人ほど虐められる世界
疲れてしまった
助けて
自ら命を断ったあの人の気持ちに
気づけなかった自分たちに
人を非難する権利は無い』
という内容でした。
おそらく学生の話でしょう。
いろいろな事情があり、いろいろなことを思ったのかもしれません。
そもそもそういうコンテンツなのかもしれません。
しかし、なんとなく心が引き寄せられるような動画でした。
なぜなら多くの方がこのような考え方に陥っている可能性があるかもしれなかったからです。
しかし、私の考えは少し違います。
この考え方のポイントは『自分のこだわりを徹底していない』ことが問題だと私は思うのです。
「なんとなく生きる」
という所の芯が弱いのが弱点です。
「なんとなく生きる」のであれば、徹底して「なんとなく生きた」方が周囲の刺激に耐えられる生き方を身に付けることができます。
ここに対するこだわりがを他者に委ねてしまっているからこそ起きる心の葛藤です。
休んだだけで怒られる世界
逝ってしまった人を止められなかった私
気づけなかった私
批判する権利なんてない
これらも「なんとなく生きる」ということを徹底していたのであれば
「知らんがな」
でスルーできる問題たちです。
『心が綺麗な人ほど生きづらい』
と言うよりは
『自分の理想とする世界、自分が自由でいたいという価値観からズレている事は許せない世界』
という心の価値観が起こしている葛藤たちです。
休んだら怒られる
別にいいんじゃないかと。
自分が休みたいときに休めばそれが正解ですし、それが許されないのであれば居場所、環境を変えればいいだけの話なのです。
そこに、自分の感情を乗せに乗せまくって溢れ出た文句が『辛い』となるのです。
なので、世の中うまく生きていくコツいうのは究極の『どうでもいい精神』なのです。
「知らんがな」
大抵はスルーできます。
なんとなく学校に行くことに疑問を感じていれば別に行かなくても良いのです。
なんとなく笑顔を合わせる必要もありません。
それによって疲れるのであれば、それをやらなければいいだけの話です。
ただし、生き方としてはそれを補う方法を身に付けておくことも大切です。
学校の本来で目的は学ぶ力を養うこと。
誰れば学校に行かない選択をした場合、他の指導を用いてまだ力を養うことが必要となってきます。
いや、そもそも、もっと別の方法で才能を開花させることだって不可能ではない世の中にもなっています。
義務教育の必要性はおそらくこれからの時代疑問視されていくことでしょう。
新たな考え方や改革が必要でしょう。
持つべきは究極の「どうでもいい精神」です。
たとえ周囲が何をしたとしても「どうでもいい」「知らんがな」でスルースキルを身に付ければ傷つくこともありません。
面白い話には乗っかり、自分がいいなと思うことに反応をして、自分がちょっとチャレンジしてみたいなと思うことにチャレンジしてみる。
そもそも、「自分の理想とずれている世界が気に食わない」というのであればそれを究極に突き詰めてしまったほうが楽に生きることができます。
気に食わないから傷つく
ではなく
気に食わないからスルーする
という選択肢を持つということです。
これで自分の心を守れるのであれば御の字でしょう。
ただし、それを他人に強要してはなりません。
あくまでも自分自身の究極の「どうでもいい精神」でいることがポイントだと思います。
それを相手に強要した時点で「どうでもいい精神」ではなくなってしまうので注意が必要です。
朝に観た1つの動画について少し話させていただきました。
この動画との出会いに感謝です。